僕に背中を向けて歩いていく市川京太郎を、ずっとずっと眺めている。
こんばんは!!
ジメジメしますね、梅雨なので。
最近文を書いてなかったので久々に漫画の話でもして文を書いていきたいと思います。
僕ヤバのブログは前にも書いたのですが、今回はあれからストーリーも進み、だんだんと作品との向き合い方も変わってきたのでつらつらと書いていきたいと思います。
前のブログ↓
以前のブログで僕はこの話を「ありそうでなくて、なさそうである、僕にでもできたかもしれなくて、絶対にできなかったであろう青春」と表現しましたが、市川と山田の関係性は僕の予想を遥かに上回り、僕のこの作品に対する向き合い方も大分変わってきました。
もし僕が市川の友人であったのなら。
僕はもう市川の理解者ではなくなってしまったし、市川はきっと僕に自身の心境の変化を悟られまいとするばかりに急にお喋りになったりする。
市川の良き友人であったはずの僕は彼の変化を手放しに喜ぶことができず、羨望の眼差しを向け、嫉妬したりする。
市川の横を歩くのはもう僕ではなくなってしまった。
そんなことを考えていると、だんだんと作品や市川に対して抱いていた親近感も薄れ、今はただやるせ無い気持ちでこの作品と向き合っています。
自分と似ていると思っていた市川に裏切られたような喪失感を身勝手に感じながら。
僕の心のヤバイやつは、僕らの心のヤバいやつでは無くて、君の心のヤバいやつだったことにルサンチマンを抱きつつも、僕に背を向けて歩いていく市川京太郎を、ずっとずっと眺めている。
ふと、次々と身の周りのオタクが青春し始めてTwitterから続々と消えていった時のことを思い出しました。
梅雨はまだ終わりそうに無い。