時間の感覚が崩壊した。

オタクの日記、考えている事、思った事。井の頭恩賜公園に住んでいます。

「僕の心のヤバイやつ」市川京太郎への想いについて。

こんばんは

 

今日は「みつどもえ」「ロロッロ!」などの大作を生み出してきた、桜井のりお先生作の「僕の心のヤバイやつ」について書いていきたいと思います。

特に重大なネタバレとかはないのですが、作品を読んでからの方がよりこのブログで言いたかったことが理解していただけるかと思うのでリンク貼っておきます。

 

 

僕のブログを読むような中二病も抜けきらないような男子の皆さんにはきっと市川少年の様な心の在り方は痛いほど理解できることでしょう。作中ではわかりやすく、また柔らかなタッチで市川少年の心情が描かれています。それ故に僕らが頭の中で考えてきた「今この瞬間学校でテロが起きたらどう行動するか」「自分の嫌いなやつをどうやって殺してやろうか」「僕は気の狂った人間だ」といったような青臭いある種の”青春”が如何に恥ずべき黒歴史でなんともない”中二あるある”であったか改めて考えさせられる作品となっています。

そういう”痛い青春”を送ってきた皆さんもなんだかんだいって「こいつらとは違う」と闇ぶりながら結局クラスのアイドルを気になりがちだったのではないでしょうか。

男のオタクというのはなんだかんだ言ってそういうもので、僕にもそういうところはあったと思います。

中には思い出したくもないような痛々しい告白をした過去を抱える方もいるかも知れません。

そんな、青春が描かれているのが「僕の心のヤバイやつ」なのです。

 

ですが、この話はあくまでフィクションです。

 

フィクションであるからこそ「ラブコメ」と銘打つ事ができ、本来ないはずの可能性があるからこそ「面白い」と「羨ましい」とまたその心の内で自らの青春に「絶望」し歯噛みするのでしょう。だからこそ、市川少年に希望を見出してこうであったら良かったなと自分の青春のifとしてありもしない共感を得るのだと僕は思いました。

 

青春などアホらしいと闇ぶってはいるものの女子への興味は人並みで、しかし何も行動など起こせるはずもなく、ずっと同じ子を見ていても怪しまれるからクラスの女子をかわるがわる眺めているだけ。

 

そんな学生時代を送った僕には市川少年が輝いて見えたし、死ぬほど回りくどい紆余曲折とありえないほどの修羅場を超えて山田とくっつくまでは絶対に購読し続ける。

 

急展開とかそういうのは全然必要なくてあくまで、ありそうでなくて、なさそうであるような出来事で少しずつ綴っていってほしいなと僕は思っています。

 

「ありそうでなくてなさそうである、僕にもできたかもしれなくて、絶対にできなかったであろう青春」

 

僕にとってこの作品はそういうものになるんだと思います。

 

今日もおしまいなオタクのブログに来て頂いてありがとうございます。

こういう作品を読んでも自分にはこんなことはこの先も起こらないとわかりきってしまっていることがなんとなく寂しく、年をとってしまったなと実感させられて参ってしまいますね。胸キュンというより痛みです。

 

それでは今日はこのあたりで。