さようなら、グランベーコンチーズバーガー
4月8日
まだ桜も散り切らない、春の陽気の中。
事件は起きた。
起きる、重い瞼を上げる、いつもの様にアルバイトに向かう、少し遅刻する。
なんて事はない、勤務態度は良好な方だ。
平日の真昼間、店内は閑散としていた。
客もまばらで特にする事もない。
前日の眠気を引きずり、ろくに焦点も合わない僕の目はたった一つ休憩時間に食べるグランベーコンチーズバーガーを見据えていた。
休憩時間になる。
急ぎ足でマクドナルドに向かう。
いつもの様にレジでグランベーコンチーズバーガーを注文する。
「グランベーコンチーズバーガーはありません。」
少し嫌な予感がした。
メニューを見て少し悩む、サムライマックバーガーを頼む。
そういう日もある。
その時はまだ気付いていなかった。
休憩室でサムライマックバーガーのしつこく舌に残る焦がし醤油をコーラで流す。
変わらないポテトの味は新しい味覚に対する違和感を帳消ししてくれた。
食べ終える。
一息つく。
タバコに火をつける。
ふと思い出す、何故グランベーコンチーズバーガーは無かったのだろうか。
手持ち無沙汰になった右手で「グランベーコンチーズバーガー」の文字列を検索する。
止められない、喪失の予感がした。
すぐに、「グランベーコンチーズバーガー 生産終了」で調べる。
悪い予感は往々にして的中する。
現実は突然で無慈悲だ。
そこには、別れがあった。
時が止まった様だった。
いや、時は止まったのだ。
グランベーコンチーズバーガーは、もうどこにも居ないのだから。
その後のバイトの事は酷く動揺していたのであまり覚えていないが、普通に働けていたんだと思う。
人間は余りにも信じられない事が唐突に起こると、存外いつも通りに動かざるを得ない生き物なのだろう。
しかし、そこに僕は居なかった。
バイトが終わる、電車に乗る。
「あんなに一緒だったのに、夕暮れはもう違う色」
加速する中央線の速度、耳から聞こえる石川智晶の声、何事もなかったかの様に回る世界。
その全てが僕を置いていった。
あの時、僕は明確に黄昏だった。
僕は、人一倍野菜が嫌いな子供だった。
小さい頃はマクドナルドに行ってもハンバーガーなど食べず、ハッピーセットのパンケーキとポテトとナゲットばかり食べていた。
それでも十分満足だった。
小学生になり、ハンバーガーを食べてみろと言われ始めて食べたハンバーガーはフィレオフィッシュだった。
タルタルソースは抜いていた。
僕は好き嫌いが多いがソースだけ抜いてしまえば見た目もさして変わらないフィレオフィッシュの存在を重宝していた。
「タルタルソースが美味しいのに」なんて両親の意見は耳に入らなかった。
僕の好みの問題だからだ、知った事ではない。
それからしばらくしてグランベーコンチーズバーガーが発売された。
運命の出会いだった。
僕の為に作られたハンバーガーなんじゃないかとさえ思った。
少し甘いバーベキューソースはポテトをより美味いく、100%ビーフのパティとベーコンは肉好きの僕の心を満たしてくれた。
そこには欲望があった。
僕にとって緑は紛い物だ。
ただただ、嬉しかった。
それから、マクドナルドに行く日が増えた。
意味も無く高校をサボった時も、塾をふけてゲームセンターに行った時も、友達と遊んだ時も、旅行に行く時も、旅行から帰った時も、家出をした時も、小腹が空いた時も、バイトの時も、雨の日も、風の日も、晴れの日も、グランベーコンチーズバーガーはいつだって僕の事を満たしてくれた。
だから、これからもずっとそうだと思っていた。
変わらず、これからも僕を満たしてくれるのだろうと信じて疑わなかった。
しかし、別れは突然に来た。
形あるものはいずれ終わりを迎える。
世界はとどまることなく終わり、そして生まれていく。
別れは必ず来る。
だが、それは同時に、思い出に光が灯る瞬間でもある。
僕がグランベーコンチーズバーガーの事を忘れる事は無いだろう。
いつかまた、グランベーコンチーズバーガーを食べられる日が来るかもしれない。
その時の為にこれからも精一杯生きよう。
きっとまた会えると、信じて。