電子象徴
こんにちは、こんばんは。
お久しぶりです。
書きます。
つい語りたくなるみたいな事が減ったように感じる。単純に昔と比べて友人が減った事なども要因として挙げられる。
毎日毎日、起きて、寝て、飯を食い、散歩をして、本を読み、インターネットを歩き回り、繰り返し、晴耕雨読と言えば聞こえは良いかもしれないが碌な刺激も得られずに滑らかにベタついた日々を送っている。
夏になるとのんのんびよりを延々と流し続けていた高校生の自分の事を思い出す。
今思えばあの頃はもっと色んなことを思い悩んで生きていた様に感じる。特に悩みがない事が悩みになってからしばらく経つ、こうなってしまったらもうどうしようも無い。生まれた時から抱えてきた様々な悩みを解消し、思うように生きているのだからこれが自分の幸せなんだとするならそれもそうなのだが俄然面白味に欠ける。おそらく明確な悩みがあった方が活力的に生きられるのだろう。
僕はまだ若い、まだまだやる事はあるし成長の余地もある事は十分承知しているがなまじ運が良かった事もあり、良い大人に恵まれこの先何をすれば良いかも大体見当がつく。なんとなく先が見えるしそうするのが最良である事も知っている。
何かと恵まれている。
人にも運にも恵まれている。
それも充分過ぎるほどに活かしきれている。
かといって他人由来の明確な悩みが降ってきてもそれはそれで不快だし嫌だ。
解消し得ないが若干不快なくらいなバランスに落ち着くものと言えば納得できなくも無いが出来れば解消したら物凄く達成感を得られて且つ 自分から生じた悩みが欲しい。
それが難しい。
もうしばらくその事ばかり考えては寄り道を繰り返し生きている。
正直に生きているのでもっとこうするべきだという事も無い。
兎にも角にもわからない。
粘菌?
僕って粘菌なんだろうか。
粘菌なのかな。
結構寄り道するから粘菌でもないな。
じゃあアレか、人間か。
人間か〜。
人間やめてぇ〜。
幸福ってどの辺にあるんだ。
どの辺にあるんだ。
もっとこう窓の右下の方にあると思うんだけれど、右下の方って誰にも見えないから結局繰り返しやるしか無いんだろうな。
左下か右上から攻めるべきなのか、はたまた左上から攻めるべきなのかわからん。
左下は埋めたから右上な気がするんだよな。
右下の広がりが際限無い。
多分幸福って右下にあると思うんだよな。
だからこう右下に向かってみてはいるんだけど、他の部分が広がっているだけなんだよな。
右下は埋まらない前提で右下に向かっていって他の部分を広げていこうみたいな話なんだろうけど右下が無くなったらそれはそれでもう頭打ちなのも結構辛いし右下ってそもそも知覚出来ないから右下を活用しながら生活していくみたいなイメージなんだろうか。
わからん。
こう、上手く右下を左下に移植してそれを左上に昇華していくみたいな作業をしたいんだけど右下の広がりは当然把握しきれないからイメージが出来ない。
なんかアレだ。
驕りかもしれない。
自分にもっと先がある前提で話を進めてる。
まぁただ自分にもう先がないみたいな前提で行くと普通に死を待つだけになるしな。
大人を見ていてもまだまだ先はあるんだろうけど気が短いからもっとサクサク行きたい。
年取らんとわからない、体感出来ないみたいな話だったらかなり先が長くてしんどいな。
アレだ、かなり気が短い。
水飲みたいな。