時間の感覚が崩壊した。

オタクの日記、考えている事、思った事。井の頭恩賜公園に住んでいます。

トラップヒロインは純愛に真に迫っていると考えている。

こんばんは!!

先程読んだ漫画「トラップヒロイン」23話に非常に感銘を受けた為、本日は前挨拶抜きで本題に移りたいと思います。

では、本題に入りましょう「トラップヒロイン」という作品を読んだことがある方はお気づきかもしれませんが 今日は「男の娘」というジャンルについて書いていきたいと思います。

僕はこの「男の娘」というジャンルに強い可能性を感じています。

何故か

それを説明するにはまず僕の思う「男の娘」の前提条件から説明していく必要性があるでしょう。 僕の中で「男の娘」とは以下の条件下において成立します。 ※以後”僕の思い描く「男の娘」”という意味で僕の「男の娘」という表現を用います。

1. 小説やライトノベルなど文字列で形成されるの現場でないこと

2.現存しないこと

3.股間の描写がないこと

以上の理由を解説していくと小説やライトノベルなど文字列で形成される現場においては”男であるという文字列”が強く影響を持ちすぎるのでこの場合は僕の描く「男の娘」にはなりえないという問題があります。現存しないことについては単に男であるという前提が二次元のそれとは違い強烈なものになってしまう為(体格、声等の問題も加味)僕の「男の娘」には届き得ないので除外されます。股間の描写については印象の残り香が消えにくいのでコレも僕としては悪手かと。うまく作用することもありますが。

要するに僕は作品の中で「男の娘」に限りなく女の子であってほしいのです。

ここまでの話を聞いて男の娘の旨味が無くなっていると感じる方も多いでしょうが僕は「男の娘」そのものを評価しているわけではありません。

ジャンルとしての「男の娘」に可能性を見出しているのです。

更に補足すると僕は「男の娘」作品は男性と「男の娘」の恋愛物語であってほしいと思っています。 現実ではありえない。ですが非現実感が薄ければそれでいいのです。

限りなく純愛に近い、しかし男女の恋愛モノにはないその距離感に僕は限りない可能性を感じているのです。

毎度言っていますが僕は女が好きです、それは二次元においても変わりません。 僕は圧倒的な非日常感を読み手に与えず、極めて密度の高い日常から生まれる純愛作品を好んでいます。 しかし、そのような作品を書くのは非常に難しいのではないだろうかと考えています。 要は男女の純愛モノとなると困難の要素にやはり外部的要因を必要としがちなわけです。 ですが、そのような要素を削った作品は書くのが難しい上に内容も小難しいものになりがちなため世に出る作品も限られてきます。 事実、現代の男女の純愛作品は圧倒的に非日常な環境に頼りがちな傾向があります。 まぁそれも悪くないのですが少々純度の低さ感じますね。

そこで、「男の娘」というジャンルが輝きます。 「男の娘」作品はヒロインが「男の娘」であるという前提があるため男女の純愛作品よりもより簡単に外部的要因を用いない困難の状況を作り出すことができるわけです。これは僕が見たい展開であるところの「外部的要因を用いない極限の日常」が起こりやすいことを意味します。

つまり男の娘作品は僕が純愛作品として楽しめる最低基準を超えやすいことになります。

この気づきを与えてくれた漫画「トラップヒロイン」23話には大変感謝しています。

結局何が言いたいって一般的なBLは視覚的に旨味ないけど、男の娘ならギリ旨味拾えるよねって話です。 偏見マシマシオタクくんなので見た目くらい女の子であってほしいです。

まぁ、なんというか今日の話は割と熱く語りましたがどちらかというと恋愛モノよりバトル系とか日常系が好きです。

またあした!!